今日は暑かった~一足早い夏到来の予感
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最近は発泡酒、第3のビールなどが主流になっているようだが、やはり味にどうしてもなじめない。
また、日本の大手メーカービールも、どれも似た味で、個性がまるで無いと海外から言われる(特にEUから)。
それでも大量生産でない秀逸なビールは結構あるもので、「よなよなエール」はその代表格である。
「よなよなエール」を知ったのはもう、15年くらい前になる。
出張に栃木県にいった際にレストランで飲んだのだが、他のビールに比べ突出して高かった。
今では関東でも置いている店があり、値段も手ごろになった。
余談であるが先日、藤沢で知人のエンジニアとバーで飲んでいたら、限定品の樽内熟成・未濾過の「よなよなリアルエール」を飲むことができた。
レストランやパブで「よなよなリアルエール」を置いてある店に出会ったらラッキーである。
実は「よなよなエール」は、外国人には結構知られている。
日本からの帰国する際に「よなよなエール」をお土産に購入する外国人は結構多い。
「よなよなエール」は、いわゆる大量生産品ではない。そこが重要な点である。
日本酒、焼酎、スコッチ、ワインも大量生産は、所詮大量生産物のクオリティしか出せない。
高級な原料や手間のかかる独特の仕込などの問題があり、大量生産ではどうしても質を一定以上向上できないことが多い。
ラーメン屋やレストランなども同じある、ファミリーレストランのようなシステムでは、時間の工数とコストは抑えることができるが、味は妥協せざる負えないのと同じである。
リラックスしたい夜はやはり秀逸な物を愛飲したい。
是非、「よなよなエール」をお試しあれ。
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3月11日の震災をきっかけに、オフィスの書籍の整理をしなければならないと考えている。
少しずつ整理しているが専門書ばかりなので、特に破棄したいものはない。
その為、どのように管理するかが悩ましい。
ソフトウエアの専門書のなかで全集と言うのは少ないが、かなり以前岩波書店からソフトウエア科学全集が出ていた。
書籍を整理しているついでに写真に収めた。
時期を置いてまた別の全集が発行され、両方とも取り揃えている。
この全集の内容は、技術の原理についての解説なので、風化されない内容が多く、いまだに読み返したり、調査で参照すると刺激に富む内容だ。
上の写真を開いたところに「命題直感主義」の解説があるが、論理学にも色々な種類、公理系がある。
このような数多くの種類が存在する論理学では、それを専門としている人間でも全てを深く把握することは困難なほど奥が深い。
たまたま、論理学の部分が出たついでに話題を脱線すると、直感主義は形式主義と演繹についての考え方が異なり、決定論的でない。
実は演繹法は人工的な仕組みであり、演繹法があろうが無かろうが「真・偽」は演繹とは独立に定まっている。
演繹は人工的に命題の真・偽を導き出すアプローチである。
(論理学で言うところの全てを把握している)神にとって演繹は必要がない。
神は全てを理解しているからである。
真に宗教っぽい言いまわしであるが、きちんとした数学・論理学・科学の講義でこう説明される。
演繹法に正しく則って推論を行えば、命題(述語あるいは命題関数と言っても良い)は、全て「真」あるいは「偽」であると判断できるという考えは、(演繹法を信じる)人間が決めた公理である。
だから、実を言うと、全知全能の神でない限り、(究極的には)人間では本当に演繹法によって導き出される結論が正しいかは証明しようがないとも言われるのだ。
これまた、宗教めいた言いまわしであるが、れっきとした科学的な数論の世界の表現である。
クルトゲーテルの不完全性定理が発表された時、(ヒルベルトに代表される当時の数論者が目指していた)演繹法の確立が破綻しとして「人間の理性の限界」と言う人が出てきたのだ。
私は「不完全性定理」とても「人間の理性の限界」とは思えないけど。。。ちなみに証明者のゲーテル自身も「人間の理性の限界」とは考えなかった。
少し本線に話を戻すと「直感主義(実は細かく分類すると色々あり、人により主張も微妙に異なる)」は、命題の真偽は人間の責任において判断するのであって、はじめから真偽が決まっているものではないという立場をとる(いわゆる、排中立を論理の原則に含めない)。
直感主義で無い立場(つまり決定論的立場)は、未来のことでも命題の真偽は既に決まっているが、人間が知らないだけと言う立場をとる
これが決定論的と言われる。
ちなみにアンインシュタインは決定論派。神はサイコロを振らない派。
決定論的であるということは、「人間の人生は既に決まっている」という運命論的なこととなる。
「そんな、バカな。未来である人生は何も決まっていない。人間がどのように行動するかでその後が決まる」
と考える人は直感主義派であり、一般的には自然な発想である印象を与えるが、必ずしもそうでもない。
直感主義派では、不透明なコップに入れてサイコロを振ったときに出る目は、コップを明けるまでは「偶数」か「奇数」でもない中間の状態(どういう状態かは想像することが難しい)があることを認めることになる=>だから「排中立」を認めない。
そして、コップを開けた瞬間に、「偶数」か「奇数」にこの時に成ることを主張する。
これは一般的な感覚からするととても信じられない考え方であるが、直感主義の根底にあるのはこういう事である。
逆にコップの中のサイコロの目が、「偶数」か「奇数」はもう出ているが、コップを明けるまでは(見ていないので)人間には分からない、という考え方は決定論派である。
人間が「知る・知らない」「見る・見ない」とは独立に、結果が決まっているという考えである。
結果が出ていないという中間の状態は無いと考える=>排中立を認める
このような議論は未だに続くきろんであり、数論、宇宙論や量子力学の世界でも常に話題の中心の1つになっている。
述語、命題という基本的事項も実は奥が深く単純ではない。
文章や事象の中で、何が主語で何が述語かであるかは、実は機械的に決まるものではない。
専門書を小説のように味わいながら、考えながら読み進め「めくるめく理論の世界に没入」するのも悪くない。
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ビジネスの好調うけて、昨日も3つの打ち合わせのため移動が多かった。
とっくに彼岸は過ぎたが多忙で墓参りもできなかったので、打ち合わせの僅かな間を縫って、本籍地の墨田区へ行ってきた、先祖の墓があるからである。
桜が満開の春の隅田川と手が届きそうなスカイツリー、何時でも混雑している雷門は昔のままである。
快晴の日だったので、携帯用として利用しているLeica2号機で慌ただしくシャッターでパチリ。
メインのLiecaD-lux4は少し大きいし重いので、常に携帯するのに重宝するのがこちらのLeicaC-lux2である。非常にコンパクトである。
墓参りが済めば、浅草を散策する暇もなく、直ぐに三鷹へ移動し、16:00から業務でお世話になる弁理士と打ち合わせ。
ここで2時間のミーティング後、オフィスの町田に戻り作業である。
昨日は水天宮前~浅草~三鷹~町田と移動であった。
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先日、私がソニー社員時代であったCEOの出井さんの本を購入した。
最近出版された新書ではない。
書店で「へぇー、こういう本が出ていたんだ?!」と言う感じで手に取った。
同じ時代にソニーに所属した者として興味深く本を読んだ。
良くある経営者の成功哲学を述べた本では無い。
また、出井さんの単なる華麗な実績を述べた自己満足的な回顧録でもない。
当時のソニーの問題と格闘がハッキリ示されてている。
どういう状況であったか?どのように判断したか?何が成功で何が失敗であったか?が語られている。
・先輩社員を何人も飛び越えてCEOになったときの他の役員の協力はどうであったか?
・創業者で無い人間がCEOや社長になる難しさについて
・ソニーのバランスシートがかなり傷んでおり、このままではソニーは潰れますと社内に現実を直視させたこと
内容から判断して、そしてソニー社員として内部に居た人間として言えるのは、この本の内容は事実だろう。
それでも私自身、出井さんの想いやメッセージは、現場の社員には届いていなかったと判断している。
この本で初めて知ったことが多いからだ。
この本を読んで出井さんを取り巻く当時の状況が良く分かり、ある程度出井さんの決断と行動は納得出来た気がする。
口で言うのは簡単であるが、ソニーのCEOの責任と業務は尋常でないことも改めて感じた。
常に問題意識がある方なら、ソニーの様な大企業で無くともこの本の内容は、中小企業やベンチャー企業の人間でも読んで得るものがあると思う。
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今から20年以上前、大学生の時、発電工学の講義で、客員教授であった東北電力の所長さんが毎週来て講義してくれていた。
その時、原子力発電はまだまだ技術的に未発達な部分が多く、絶対的な安全など無いと強調してたっけ。
昔から全く変わらない、日本の無節操な原子力計画。
現場に携わる人なら誰もが知っている、日本のずさんな原子力発電の現状。
放射能性物質が今回の福島原発の事故で漏れていると政府は騒いでいるけど、実は日本は以前から意識的に放射能性物質を意識的に海や大気に捨てているので、何を言っているかと腹立たしい。
是非、このビデオを見るべし。
http://www.youtube.com/watch?v=gW8pfbLzbas&feature=related
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震災から3週間が経過した。
まだまだ、震災地は混乱と不安の中にある。
震災に見舞われた方には心からお見舞い申しあげたい。
東京では計画停電にも慣れてきた感があり、震災直後からすこしづつ平静を取り戻しつつある。
TVニュースでも被災地の報道の割合が少し減ってきている。
ただし、事態は決して順調に収束に向かっている訳ではない。
福島原発であるが政府や東電が公表する原子炉の状況は、楽観的過ぎる気がする。
必要以上に国民に不安を与えない様な配慮かそれとも隠蔽体質なのか?
福島原発の今の現状は「決定的な解決策が全く無い」と言う点を再認識しなければならない。
TVで原子炉の専門家がしきりに「めったな事では破壊されない頑丈な原子炉圧力容器がある」と繰り返しているが、その原子炉圧力容器が既に溶融している可能性が高く、汚染物質が外部へと流れ出て続けている状況と判断するのが妥当だろう。
東電が記者会見で、「原子炉圧力容器が破損している可能性」と淡々に述べているが、実はこれが極めて深刻な状況であることを説明していない。
原子炉事後で比較されるのが「チェルノブイリ事故」であるが、この比較がある意味誤解を生じさせるリスクにならないだろうか。
福島原発の2号機、3号機などが再臨界に達しない保証はない。
再臨界に達すれば連続的な核反応となる可能性は低いとしても、原子炉圧力容器が溶融していれば多大な放射能汚染物が継続的に長期間漏れ出てしまう。
専門家が、再臨界に達したとしても「チェルノブイリ事故」にはならないと言い方することで、何となく国民は大惨事にならない印象を受けてしまうのではないか。
しかし、原発事故の惨事は「チェルノブイリ事故」のパターンばかりではない。
福島原発の場合、1基だけでなく複数の原子炉が制御不能状態になり、原子炉ばかりか燃料プールや排水プールまでに問題が及んでいる。
このような事故は今回の福島原発の以外、過去に事例が無い極めて異例の危機的状況だ。
今現在も福島原発で必死に対応している作業員の方には感謝したい。
一方、東電も国も、もっと危機感と正しい状況認識に立って行動すべきだ。
とにかく、作業が後手後手に回っている上に、作業員が少なすぎるために作業できることに限度があるし、過酷な労働をさせている元凶になっている。
今の10倍~20倍に作業員をしないと駄目だ。
直ぐにはそのような作業員を増員できないならば、今のうちから手を打つべきだ。
非常時の時にこそ社長が自ら先陣に立って指揮することがミッションのはずだが、入院してミッションを果たせないような人物になぜ社長職に就いているのだろう。
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