日本はソフトウエア産業の競争力が弱く世界レベルにないと言われる。
これは事実だと思う。原因は色々とあるだろう。
1つ気になるのは学校教育である。
どうも工業化時代である20世紀の量産と効率を目指していた時代と、知的産業である21世紀の現在も同じ教育が実施されているのが気になる。
このことに関連するオモシロイ話題として、数学の数学的帰納法と背理法がある。
ある学校の先生によると最近は高校であまり時間をかけて数学的帰納法や背理法を用いた証明を教えないと聞いた。
なぜ、最近は高校で教えないのか不思議に感じていたら、入試に出ないからという。あるいは指導要領であまり深く説明しないようになっているのかもしれない。
数学的帰納法や背理法は、私が学生時代には、整数問題と極値を扱う漸化式の問題では必ず用いたくらい入試では常連君だった。
学生に公理体系などのことを説明せず、暗黙的に排中律をOKとすることに、教育上の問題があるので、数学的帰納法や背理法を活用させることは避けるようにしたからか?
#しかし、いまの学校教育で公理体系についてそこまで考慮して指導しているとは思えない。
日本の数学では、公理とか定理はさらりと流して、すぐに問題の解法の技巧に走るがこれは良くない。
高度な知的労働であるソフトウエア開発は、テクニックよりも思考の訓練が大切である。
ソフトウエアは論理学や数学と極めて密接に関連しているからである。
もっと、数学の持つ厳密性、無矛盾性(あるいは、それを示すことの限界)、演繹という作業のもつ意味や、抽象操作性を重視した教育に移行した方がよい。
数学的帰納法に話を戻すと、そもそも数学的帰納法は、「帰納法(induction)」と名前が付いているが、演繹的な証明であって帰納法推理(inductive inference)ではない。
1つ1つの命題について真であることを示し、それを活用して、順次、次の命題を証明するので演繹法以外のなにものでもない。
数学なのだから証明法の名前は正しくつけた方が良い。
#原文がそうなっているので、翻訳の問題ではない
おそらく、1からnそしてn+1と数学的帰納法が将棋倒しのように連鎖する命題を次々証明することで、最終的な一般性を保つ証明対象について真を導く、ややトリッキーな方法が帰納法風に感じられなくもないからだろう。
#実を言うと、蓋然的アプローチに「比類推理」「枚挙的帰納推理」というのがあり、比類推理を記号論理学的に記述すると記述スタイルも証明の進め方も数学的帰納法に似ているので、ここからの借用ではないだろうか(だけど、枚挙的帰納推理、比類推理もあくまで証明対象が100%真であることを保証できないことには変わりない)。
帰納法とは蓋然法(probable inference)の一種で、前提の命題が真でも、結論が必ずしも真とはならない場合がありうる確率的アプローチであり演繹法とは全く意味が異なる。
演繹法は、前提の命題が真なら、結論は必ず真にならなければならない証明法であり、高校数学で暗黙的に使用されている公理体系の中では(暗黙的と言ったのは高校では選前提とする公理体系を陽として説明しないから)、定理などの証明問題に本当の意味での帰納法などは認められない(というか純粋数学として価値がない)。
背理法にしたって、背理法の持つ証明方法の意味というか数論的な意味を教えた方が良い。
学校では背理法は、日常生活で用いるレベルの消去法の延長としか単に説明されていない。
#よく犯人のアリバイ証明を例に出し説明される
背理法は排中律を思考の原則として含めるか否かに深く結びついているので、ここを議論せず証明に用いることはできない(論理学的思考の教育になっていない)。
特に時間や無限、将来の予測が絡む問題では注意が必要だ。
(証明対象の性質にもよるが)背理法の証明を用いるような証明問題で、生徒が「私は直感主義の立場をとるので背理による証明は認めません」と書いたら、試験官はどう採点するのか?
高校生なんだから、ズベコベ言わず伝統的かつ古典的な数学公理体系に従って解けと主張し、あっさり×なのだろうか。
しかし、それはやや問題だ。
高校の物理や化学でも習う範囲の量子力学であっても、排中律は認めないことが多い。
これまできっちり法則に100%従う古典力学から、確率によって判断する世界になる新しい理論体系を指導しているのに、数学ではなぜ暗黙的に排中律を使ってしまうのか?
やはり公理というものを明確に示さなければ相当あいまいな教育が科目間で実施されてしまうことになる。
もともと数論の世界で無限を扱う際に問題となる排中律は、「神様はサイコロを振るか?」という話題で有名な議論だが、このテーマは今や全ての分野に影響を及ぼし、重要な課題である。
#多値の論理学と言うことがある。
いずれにしても、これからの数学は単なる解法のテクニックを学ぶ時代ではなく、抽象思考訓練としての数学が必要だろう。
このような課題を議論する下地をつけつのが教育だろう。
HSCI Takanari Hashimoto(URL:http://hsc-i.com/)=
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