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2009年12月

2009年12月28日 (月)

アメリカがまた金融バブルになって来た!

アメリカの株価が好調な推移を見せている。

世界同時不況からアメリカ経済が回復したのだろうか?

答えはもちろん「NO!」だ。

それどころか、急速に実経済が悪化している、暴動が起きてもおかしくないくらいの状況になりつつある位、アメリカ経済の実体は酷い。
#2010年のアメリカ実体経済は一体どうなるのか?そうとう恐ろしい状況になるのでは。

それにも関らず株価は上昇している。つまり再び金融バブル状態に突入した。

なぜ、アメリカはリーマンショック以降変われないのか?と誰でも思うだろう。

しかし、この問いは正しくない。

なぜなら、最初から金融バブルしか考えていないのである。

つまり最初から反省など全くしていない。

アメリカは最初からバブル経済による金儲け(と戦争)しか方法が無い状況である。

今やアメリカにおいて効率よく外貨を稼ぐには、金融ビジネスでバブルを起こすしかない。

つまり海外に売る製品が(一部のものを省いて)無い状態である。

オバマ大統領がいくらリーマンショックのようなバブル経済の再発防止を抱げても、それは諸外国へのリップサービスである。

なぜなら、リーマンショック以降、アメリカ議会において金融ビジネスに規制をかける法案は1つも可決されていない事からみても明白であるし、そもそも大統領にアメリカのウォール街に代表される金融界を制御できる力は全くない。
#このことは世界の常識。

つまりアメリカの金融界は、好きなことがなんでもできる状態にある。

そして、ウォール街の金融マンはバブルによってサイバー空間による取引でお金を稼ぐのがスマートなやり方と考えているし、自分がいかに儲けるかしか考えていない。

アメリカの今の経済復興のスローガンは「バブルよもう一度!」である。

このことをしっかり認識する必要がある。

HSCI Takanari Hashimoto(URL:http://hsc-i.com/)=

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2009年12月22日 (火)

テクニックよりも思考の訓練が大切~昔の数学から脱皮できない日本の学校教育

日本はソフトウエア産業の競争力が弱く世界レベルにないと言われる。

これは事実だと思う。原因は色々とあるだろう。

1つ気になるのは学校教育である。

どうも工業化時代である20世紀の量産と効率を目指していた時代と、知的産業である21世紀の現在も同じ教育が実施されているのが気になる。

このことに関連するオモシロイ話題として、数学の数学的帰納法と背理法がある。

ある学校の先生によると最近は高校であまり時間をかけて数学的帰納法や背理法を用いた証明を教えないと聞いた。

なぜ、最近は高校で教えないのか不思議に感じていたら、入試に出ないからという。あるいは指導要領であまり深く説明しないようになっているのかもしれない。

数学的帰納法や背理法は、私が学生時代には、整数問題と極値を扱う漸化式の問題では必ず用いたくらい入試では常連君だった。

学生に公理体系などのことを説明せず、暗黙的に排中律をOKとすることに、教育上の問題があるので、数学的帰納法や背理法を活用させることは避けるようにしたからか?
#しかし、いまの学校教育で公理体系についてそこまで考慮して指導しているとは思えない。

日本の数学では、公理とか定理はさらりと流して、すぐに問題の解法の技巧に走るがこれは良くない。

高度な知的労働であるソフトウエア開発は、テクニックよりも思考の訓練が大切である。

ソフトウエアは論理学や数学と極めて密接に関連しているからである。

もっと、数学の持つ厳密性、無矛盾性(あるいは、それを示すことの限界)、演繹という作業のもつ意味や、抽象操作性を重視した教育に移行した方がよい。

数学的帰納法に話を戻すと、そもそも数学的帰納法は、「帰納法(induction)」と名前が付いているが、演繹的な証明であって帰納法推理(inductive inference)ではない。

1つ1つの命題について真であることを示し、それを活用して、順次、次の命題を証明するので演繹法以外のなにものでもない。

数学なのだから証明法の名前は正しくつけた方が良い。
#原文がそうなっているので、翻訳の問題ではない

おそらく、1からnそしてn+1と数学的帰納法が将棋倒しのように連鎖する命題を次々証明することで、最終的な一般性を保つ証明対象について真を導く、ややトリッキーな方法が帰納法風に感じられなくもないからだろう。
#実を言うと、蓋然的アプローチに「比類推理」「枚挙的帰納推理」というのがあり、比類推理を記号論理学的に記述すると記述スタイルも証明の進め方も数学的帰納法に似ているので、ここからの借用ではないだろうか(だけど、枚挙的帰納推理、比類推理もあくまで証明対象が100%真であることを保証できないことには変わりない)。

帰納法とは蓋然法(probable inference)の一種で、前提の命題が真でも、結論が必ずしも真とはならない場合がありうる確率的アプローチであり演繹法とは全く意味が異なる。

演繹法は、前提の命題が真なら、結論は必ず真にならなければならない証明法であり、高校数学で暗黙的に使用されている公理体系の中では(暗黙的と言ったのは高校では選前提とする公理体系を陽として説明しないから)、定理などの証明問題に本当の意味での帰納法などは認められない(というか純粋数学として価値がない)。

背理法にしたって、背理法の持つ証明方法の意味というか数論的な意味を教えた方が良い。

学校では背理法は、日常生活で用いるレベルの消去法の延長としか単に説明されていない。
#よく犯人のアリバイ証明を例に出し説明される

背理法は排中律を思考の原則として含めるか否かに深く結びついているので、ここを議論せず証明に用いることはできない(論理学的思考の教育になっていない)。

特に時間や無限、将来の予測が絡む問題では注意が必要だ。

(証明対象の性質にもよるが)背理法の証明を用いるような証明問題で、生徒が「私は直感主義の立場をとるので背理による証明は認めません」と書いたら、試験官はどう採点するのか?

高校生なんだから、ズベコベ言わず伝統的かつ古典的な数学公理体系に従って解けと主張し、あっさり×なのだろうか。

しかし、それはやや問題だ。

高校の物理や化学でも習う範囲の量子力学であっても、排中律は認めないことが多い。

これまできっちり法則に100%従う古典力学から、確率によって判断する世界になる新しい理論体系を指導しているのに、数学ではなぜ暗黙的に排中律を使ってしまうのか?

やはり公理というものを明確に示さなければ相当あいまいな教育が科目間で実施されてしまうことになる。

もともと数論の世界で無限を扱う際に問題となる排中律は、「神様はサイコロを振るか?」という話題で有名な議論だが、このテーマは今や全ての分野に影響を及ぼし、重要な課題である。
#多値の論理学と言うことがある。

いずれにしても、これからの数学は単なる解法のテクニックを学ぶ時代ではなく、抽象思考訓練としての数学が必要だろう。

このような課題を議論する下地をつけつのが教育だろう。

HSCI Takanari Hashimoto(URL:http://hsc-i.com/)=

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2009年12月21日 (月)

映画「ヴィトゲンシュタイン」

大天才哲学者・言語哲学者である「ウィトゲンシュタイン」をDVDで観た。

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過去に一度観てるが、改めて休みに観た。

最初に思う感想は、やっぱり妙な映画だと思う。

ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」や「哲学探究」についての解説ドキュメンタリー映画ではないし、天才ウィトゲンシュタインの研究者としての秘密を探る映画でもない。
#私も最初は「論理哲学論考」や「哲学探究」についての解説ドキュメンタリー映画だと期待して観た。

この映画はウィトゲンシュタインという人物をかなり知っている人向けの映画だろう。
#論理哲学論考や哲学探究の中身を理解していなくてもよい(と言うよりまずいないか)。

ウィトゲンシュタインを知らない人や興味ない人が観たら、意味が良く分からず途中で観るのを辞めるだろう。

映画のストーリーは、ウィトゲンシュタインの子供のころから他界するまで描かれており、史実と一致している。

ラッセルも登場し、「論理哲学論考」や伝言ゲームをケンブリッジ大学で学生に指導している場面もある。

終盤には「哲学探究」について執筆していることをイメージさせる場面もある。

ウィトゲンシュタインが一時哲学から身を引き、学校の先生になった時代があるが、その場面もあり生徒に対して理解が悪いと女の子をヒステリックに叱責している場面もある。

この場面などは、生徒を虐待して辞職になる過去のことだとすぐ分かる。

いづれの場面も詳細な解説や分かりやすいストーリ展開として描かれていないため、ドキュメンタリーのような写実的では無く、ある種ウィトゲンシュタインの人生と成果を戯曲風に表現したかったのだろう。
#序盤変な宇宙人みたいなのが登場する、そもそもDVDのジャケットも妙だ。

ウィトゲンシュタインをよく知っている人間が観ると「あぁ、このシーンは、あの事だ。」と分かるが、ウィトゲンシュタインを知らない人間がみると意味が不明なのではないだろうか?

この映画は何らかの形で「論理哲学論考」や「哲学探究」に興味ある人が観ると、その人なりに異なる感想を持つようだ。

20世紀最大の哲学者、論理学者として、ゲーテルとどちらが天才か比較されることが多々あるオーストリアの偉人の映画は観ておいて損はないかもしれない。

HSCI Takanari Hashimoto(URL:http://hsc-i.com/)=

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2009年12月19日 (土)

萱野稔人氏にスピノザのレクチャーを受けてきた

萱野稔人氏がスピノザの主著「エチカ」を解説する機会があったのでレクチャを受けてきた。

スピノザは現代哲学に大きな影響を与えているが、実のところ非常に難しい内容となっている。

専門家でも正確に「エチカ」を理解できているものは少ないという。

「エチカ」は5部から構成されているが、特に重要かつ難解なのは1章と2章でここを正確に理解できないとスピノザの考えを根本的に見失うと萱野稔人氏から注意があった。

逆に1章、2章を正しく読み説けば、エテカを読み解くことができるようだ。

萱野稔人氏はパリ大学での博士論文のテーマがスピノザであり、スピノザの第一人者が論文審査に加わっていたという。

そういう意味でも日本人でスピノザを解説するうえで適任者の一人だ。

スピノザの「エチカ」を理解するうえで再重要なタームは、実体、属性、様態でこれを詳しく解説してもらった。
#一般的な存在論の実体、属性、様態とは意味・解釈が異なる

スピノザの考えは専門家による解説を受けないと独学では間違いやすいと改めて感じた。

スピノザの有名な身心並行論、自己存在化運動、内在的原因、起成原因など解釈を間違いやすいものを理解できたのは大きい。

解説で興味深かったのは、スピノザの考えを深く理解するためにデカルトの哲学やハイデガーなどの哲学との比較をしながらの解説は大変参考になった。

HSCI Takanari Hashimoto(URL:http://hsc-i.com/)=

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2009年12月18日 (金)

以前の同僚と情報交換会に行くの巻

12月に入りあわただしい日々を送っているが、今日は以前の勤務していた企業の同僚と情報交換会(まぁ忘年会ですな)。

年に2度程度会うことがあるが、年齢も近い上に同じ専門性を有しているので、話題に富み情報交換のネタには事欠かない。

それでも各個人Deepな専門性は、それぞれ異なっていおり、皆勉強家なので情報交換は大変有益な場で単なる飲み会とは大いに異なっている。

最近の話題は何だろうか?色々情報を仕入れたいと考えている。

HSCI Takanari Hashimoto(URL:http://hsc-i.com/)=

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2009年12月17日 (木)

Xmasシーズン真っただ中の街のイルミネーション

Xmasシーズン真っただ中のイルミネーション@新宿。

不景気だがイルミネーションは毎年豪華になっている。

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HSCI Takanari Hashimoto(URL:http://hsc-i.com/)=

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2009年12月13日 (日)

岡本太郎博物館と多摩公園

12月12日の土曜日に岡本太郎博物館に行ってきた。

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比較的近い小田急の向丘遊園駅なので、ふらりとける場所である。

向丘遊園駅から岡本太郎博物館までは、歩いて行ける距離である。

広い森林公園に中にあり家族ずれやアマチュアやプロのカメラマンが北欧を思わせる紅葉の景色を撮影していた。

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公園内には岡本太郎博物館以外にも色々な施設が存在する。

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岡本太郎というと万博の「太陽の塔」が有名だが、実にいろいろなものをデザインしている。

近鉄バッファローズの球団マークなどもその1つだ。

岡本太郎は流行作家の父の経済的援助で10年パリに留学している。

当時の留学は相当な資産家でないとできないために、やはり岡本太郎家は相当裕福だったと博物館の写真から分かる。

フランス語も堪能だ。

フランスでは、前衛的な現代美術家としてかなり有名な存在のようである。

岡本太郎というと抽象的な絵画や彫刻である。

戦時中に上司に命令されて人物がを描いているが、さすがに上手い。写真のような写実的絵画も物凄い上手さだ。

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HSCI Takanari Hashimoto(URL:http://hsc-i.com/)=

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2009年12月 9日 (水)

フランダースの犬と忠臣蔵の共通点~歳の瀬になると思いだす

12月に入り歳の瀬が迫ってくると毎年必ずと言っていいほど忠臣蔵が放送される。

討ち入りの日が12月だからだ。

日本人にとって忠臣蔵は特別である。

フランダースの犬の主人公ネロが教会で死んでしまうのでもクリスマスの日であるから12月だ。

「フランダースの犬」は日本での人気が群を抜いており、他の国では全く知られていない国もある。

もっとも日本人のほとんどは、原作を忠実に翻訳した小説を読んだのではなく、100%と言って良いほどカルピス名作劇場(のちにハウス食品がスポンサー)のアニメを通じて知っているという点も独特だ(そう思うと、カルピス名作劇場シリーズは偉大だなぁ)。

フランダースの犬というとアニメのネロとパトラッシュの顔が浮かび、主題歌が今でも聞こえて来そうだ。

ただし、アニメと原作は違うところも多いとのことだ。

アニメの方がネロが純粋に描かれており、ストーリーも悲劇的な状態へと向かう筋書きになっている。

アメリカでは5回ほど映画化されているが結末がハッピーエンドに変えられている。

ベルギー本国では「フランダースの犬」は人気がない。

一方、日本人の観光客が非常の多くネロの見たルーベンスの絵の前はいつも日本人の観光急客であふれている。

忠臣蔵とフランダースの犬がなぜ共通点があるか?

それは、ベルギーのあるTVプロデューサーがルーベンスの絵の前で涙を流す日本人を見て、

「なぜ、貧しく死んでいく物語の主人公に日本人はここまで感情移入するのか?」

を不思議に思いドキュメンタリー番組を制作したらしい。

テレビ局が日本人の歴史と感性を調査し出した結論は、

「日本人の持つ滅びの美学」

だったという。

忠臣蔵もフランダースの犬も最後は死んでしまうが、主人公の純粋で何もかも自分の心の中に秘めたま、他人に何も話すことなく消えていくという生き様が、日本人の死に対する1つのあり方ということだろう。

単なる自己犠牲でもなく、自分の信念と価値観を踏まえた上での死に対する姿勢だという事と思う。

大石内蔵助は「あら楽し 思いははるる身はすつる 浮世の月にかかる雲なし」と辞世の句を残して切腹になる。

ただし、人生は生きてこそ価値があるので「日本人の持つ滅びの美学」は、安易に語るべきものではないだろう。

フランダースの犬と忠臣蔵が日本人に人気があるのが、ベルギー人によって少しばかり分かった気がする。

HSCI Takanari Hashimoto(URL:http://hsc-i.com/)=

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2009年12月 6日 (日)

濃厚なチンタオ黒ビール~中国のビール

普段よく行く中華料理店で濃厚なチンタオ黒ビールを飲んだ。

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これまでチンタオ(青島)ビールには、普通のビールとプレミアムがあったのだが、黒ビールも登場したので早速飲んだ。

ローストが強めなのかなかなか濃厚な味がする。

グラスに注いでもかなり黒く向こう側が透けて見えない。グリーンのビンに入っているから本当に黒く見える。

味は普通のビール、プレミアム、黒ビールの3種類の中で一番黒ビールが美味しく感じた。

HSCI Takanari Hashimoto(URL:http://hsc-i.com/)=

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2009年12月 5日 (土)

永世中立国の意味を知る~日本人は国際感覚を持とう2

永世中立国は日本では勘違いしている人が多い。

永世中立国は非武装の国ではない。

また、永世中立国はスイス以外の国もある。

永世中立国は煩わしい他国間の軍事問題に関与しない代わりに、自国へ他国が攻めてきたときには自国だけで解決する。

つまり自国の軍事力のみで他国を排除することを世界的に認められている国である。

そのため永世中立国に共通するのは、最高の武力を保持する(保持を目指している)ということだ。

ある国が非武装を理想とし平和を望んでも、世界には武力で他国を侵略しようという国が確実に存在する。

他国が侵略してきたときに、国連は全くあてにならない。

残念だが今現在は自国の平和を維持するには武力が必要なのである。

もし、日本が平和憲法を維持したいなら、理想と現実問題のギャップを埋める手段として今は不本意だが米軍の駐屯を認めるしかないだろう。
#もっともこの状態が平和憲法を維持している状態であるかは大いに疑問である。駐屯する米軍は進駐軍(第三国の公式文書では占領軍となっている)であることには変わりはない。

米軍の駐屯がいやなら、日本の自衛隊が事実上の軍隊なんだから、日本も永世中立国を目指すというのも1つの手段かもしれない。

ただし、永世中立国を目指すと言っても、現実には色々難しい問題がある。

永世中立国になることや、永世中立国を目指すことは大変なことなのだ。

かっては永世中立国だったく国が永世中立国をやめた国もある。

逆に永世中立国を目指している国もある。

HSCI Takanari Hashimoto(URL:http://hsc-i.com/)=

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クリスマスシーズン到来~日本人は国際感覚を持とう1

12月に入りクリスマスシーズンだ。

本当は師走で暮れお正月モードと書きたいが、日本人はクリスチャンでもないのにクリスマスをお祝いする。

実はこれクリスチャンや他の宗教の人々からよく思われていないことなんだ。

それはそうだろう、もともと宗教の儀式なのだ。

クリスチャンにしてみれば聖なる期間なのに、全く関係ない人々が恋愛やボーナス商戦の道具につかわれて大騒ぎしているんだし、他宗教の方には全く関係ない話だ。

日本人がアメリカやイギリスなどの外国人へクリスマスカードを不用意に出すのもかなり問題だ。

まず、アメリカやイギリスなど白人系の人がかならずクリスチャンであるとは限らない。

仮にクリスチャン同士でも、クリスマスカードはよほど親しい間柄(家族とか親戚)でないかぎり、クラスマスカードでなくグリーティングカードとなるケースが多い。

もちろん文面も「メリー・クリスマス」など書かない。 

季節のあいさつの言葉になる。

クリスチャンでない人にクリスマスカードを送ることや、クリスチャンでもない人がクリスマスカードを出すことは、海外では相当問題になる行為と取ることもあるから要注意だ。

それと、クリスマスはキリストの誕生日となっているけど、これも近年は研究が進み太陽信仰のあったときに太陽の生まれる日という名残が残ったことが知られている。

キリストの生まれた日はいまだ不明。

HSCI Takanari Hashimoto(URL:http://hsc-i.com/)=

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